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2003年の暗峠の写真 2003年8月2日~8月15日 埼玉実家~大阪自転車旅行 Part2

Part1 はこちら

2003年の夏に埼玉~大阪まで旅行した写真のつづき。2003年8月の暗峠である。

8月9日 奈良~暗峠~大阪

奈良のホテルを出て、三条通をそのまままっすぐ西へ進んだ。酷道として非常に有名な「暗峠」(くらがりとうげ)へ向かう。

下の写真は、青看の矢印が明らかに細くて有名な場所。

国道308号の青看

自転車に乗り始めたのは、当時のインターネットで流行していた、廃墟や廃道、酷道を扱う個人ウェブサイトの影響だった。暗峠は当時からもっとも有名な酷道で、ぜひ行ってみたい場所だった。

暗峠は生駒山地をまっすぐ登って越える峠道で、古代からそのままのルートが使われている。国道308号に指定されているが、ほとんど1車線、しかも非常な急坂で有名である。

これは、国道25号非名阪と同じく、並行する国道308号新道が有料道路(阪奈道路)だからであるようだ。

このように、とても国道とは思えない細い道なのに国道の看板がついている。当時から非常に有名な景色。

国道308号のおにぎり

前哨戦の、奈良市から生駒市へ抜ける区間。この時点で異常なほどに細い。

矢田丘陵 矢田丘陵

阪奈道路の側道のような場所として有名な区間。

阪奈道路の側道のような場所

矢田丘陵を降りて、近鉄生駒線のところまで来た。

近鉄生駒線の踏切

南生駒駅。このあたりから暗峠への登りへかかる。雨が降ってきてしまっている。

南生駒駅

登りにかかるあたり。この記事を書いている2025年には奈良県側はかなり改良工事が行われて二車線化しているようだが、写真を撮った2003年は、まだまだ改良区間は少なかった。この写真のほぼ登り口のあたりを過ぎると、峠付近まで二車線区間はなかった記憶がある。

むかいやま公園付近

このように、集落の中の細い道を登っていく。なんとか押さずに上ったが、足は何度もついた。

奈良側

さて、ということで暗峠に到着したところまで一気に飛ぶ。

暗峠の標柱

暗峠(くらがりとうげ)、標高455m。奈良県生駒市と大阪府東大阪市の境。暗越奈良街道の峠で、石畳の国道としても有名である。

奈良側から大阪側を見る

奈良側では信貴生駒スカイラインをくぐっている。車幅制限1.3mの標識も有名。

大阪側から奈良側を見る

ということで大阪側へ出発。雨が降っていたが、西の空が明るくなってきた。

振り返って奈良側を撮影 大阪側を撮影

ここも非常に有名な場所。明らかに道幅が狭い左側が国道である(奈良側へ振り向いて撮影)。

とても有名な分岐

分岐を過ぎると一気に下りはじめる。この写真には棚田が写っているが、こんな高いところで稲作をしていたのか。

棚田

さて、以下の2枚は暗峠でいちばん坂が急な場所を撮影しようとしたものだと思う。現代のインターネットにはもっと鮮明な写真がたくさんあるが、この2枚目の写真を見ても、九十九折れの上下に短距離で大きな差ができているのがわかる。

最急勾配区間 最急勾配区間

振り向いて撮影。大阪側はほとんどコンクリート舗装である。じつは大阪側のほうが坂道は急。

コンクリート舗装

かなり下ってきた。いつの間にか晴れていた。大阪平野、そして遠くには六甲山まで見渡せる。

大阪平野を見渡す

ほとんど下まで降りてきた。

ほぼ降りてきた

下りきった。近鉄の枚岡駅付近である。これで暗峠は終わり。

枚岡

そのまま大阪へ。途中、「大阪のおばちゃん」に車の中から応援されたのを覚えている。

大阪市に入る

ということで大阪市の中心部に着いた。……しかし、この写真を撮った場所を国道1号の終点だと思っていたのだが、これは終点の梅田新道より1つ手前の「梅新東」交差点のようだ。

梅田(梅新東)

これで大阪まで着いた。暗峠はこの旅行の最大の目的だったので、これでかなり力が抜けてしまった。

この日は京都側に少し戻って、門真のネカフェに泊まった。高校生がネカフェに泊まるのは当時ダメだったと思うのだが、2003年はまだまだおおらかな時代だったのだと思う。

このあとはほぼ写真を撮っていないが、最後に帰路について3ページ目に分けて書く。

Part3 帰路へ

2025年12月17日記事公開

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