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2003年8月2日~8月15日 埼玉実家~大阪自転車旅行 Part1

2003年に親にGIANTのMTB(XtC840)を買ってもらい、夏休みに初めて自転車旅行をした。登山用ガスコンロ、テントなどひととおりの道具を買い揃えた。自転車にはミノウラのリアキャリア、MT-700(MT-800の前モデル)を装着。地図はツーリングマップルを使用したはず。

写真はすべて、PENTAX Z-10 / SMC-PENTAX F 28-80mm。

8月2日 埼玉~甲斐大和

8月2日、埼玉県の実家を出発。所沢を経由して国道20号へ。

大垂水峠。この旅行は最初のほうの写真がモノクロである。理由は、高校のサイクリング部の顧問が写真部を兼任していて、モノクロフィルムで撮ることを薦められて富士フイルムネオパン100アクロスをもらったため。しかし、よくわかっておらず写真店に現像に出してしまった。顧問としては自家現像を教えたかったらしい。

大垂水峠

以下の写真は8月2日撮影のはずだが、大垂水峠~甲斐大和のどこで撮影したか不明。

廃バス 自転車と自販機 どこかの山 どこかの駅

この日覚えているのは、大月のコンビニで背中を蜂かアブに刺されたことだ。

この日は「道の駅甲斐大和」で野宿。夏なのでテントは使わずベンチで寝た。バイクツーリングしているお兄さんと話した記憶がある。写真は自分。

道の駅甲斐大和にて

8月3日 甲斐大和~長野県飯島

道の駅甲斐大和、朝の風景。

道の駅甲斐大和

甲府盆地に降りたときの空気が涼しかったのを覚えている。釜無川まで甲府盆地を横断。

釜無川

このあと、国道20号が車が多く辛かったので、長坂あたりで河岸段丘の上に上った。日野春で休憩したのは覚えているが写真はない。

下の画像は「輿石運送」と書いてあるが、検索したところ山梨県韮崎市にいまもある会社のようだ。

韮崎あたりにて

国道が徐々に河岸段丘と同じ高さに上り詰めてきたあたりで「道の駅信州蔦木宿」へ。たしかここには温泉があり入浴した。高校生の頃は自転車旅行で毎日きちんと入浴していた。ちなみに大学のサイクリングクラブに入った後は、何日も風呂に入らないで自転車旅行するようになる。

道の駅信州蔦木宿

諏訪湖。すでに陽が落ちてきている。

諏訪湖

伊那谷へ入っていく。

伊那谷へ

この日は、長野県の「道の駅飯島」で野宿した。

8月4日 長野県飯島~静岡県佐久間

この日は天竜川に沿って佐久間まで南下した。

……のだが、ほとんど写真を撮っていない。日本で一番の秘境なのになぜだろうか……。じつは阿南町あたりまでは県道1号の山道を避けて国道151号を走っていたのだが、逆にアップダウンが多くてグロッキーになってしまった。そのせいかもしれない。

覚えているのは、飯田線の平岡駅で食事を取ったこと。長野県富山村(当時日本一人口が少なかった村。平成の大合併でなくなってしまう)で郵便局に寄ったこと(旅行貯金をしていた)。佐久間湖沿いの県道1号線が走っても走っても終わらなかったこと。正直、佐久間湖沿いのなにもない道で日没を迎えるのが怖くて、写真を撮るどころではなかった気がする。

あとそもそも、フィルムカメラの時代はそんなに写真をたくさん撮るものではなかった。ここまででフィルム1本=36枚も撮り終わっていない。

ということで、ほぼ佐久間ダムに着いたあたりの素掘りのトンネルの写真。

佐久間ダムの素掘りのトンネル

ここでちょうどフィルムが終わった。この先はカラーネガでの撮影になる。

佐久間ダムの素掘りのトンネル

この日は飯田線の佐久間駅の近くにあるキャンプ場に泊まった。初めてテントを使った。

8月5日 静岡県佐久間~愛知県三河田原

佐久間のキャンプ場を出発し、飯田線沿いに進む。

もしかすると前日はこの工事があるから先を急いだのかもしれない。

工事看板

下の写真は、どうやら愛知県東栄町で県道1号が国道151号へ突き当たるT字路で撮影したようだ。

愛知県東栄町にて

さて、この先の愛知県新城市あたりで熱中症のようになってしまい、スーパーの駐車場で動けなくなってしまった。しかし、小一時間横になって休んだら復活した。

そのままの流れで豊橋へ。画像は豊橋鉄道の電車。

豊橋鉄道

この日は愛知県三河田原市の「道の駅田原めっくんはうす」で野宿した。

道の駅田原めっくんはうす

8月6日 愛知県三河田原~三重県関町

朝、三河田原の田原城を少し見学。

田原城

田原城の近くにあった巴江神社。

田原城

このあと、伊良湖岬まで朝のうちに一気に進む。伊良湖岬にすぐに到着。伊良湖岬灯台を見学。

伊良湖岬灯台 伊良湖岬

伊勢湾フェリーに乗る。大きな船に乗るというのは、芦ノ湖の海賊船以外では初めてだった。

伊勢湾フェリー

鳥羽港へ到着。

鳥羽港

伊勢方面へ。途中、古風な農家と田んぼがあった。人がいるのでなんなのか聞いてみたところ、伊勢神宮へ奉納する米を育てるための「神田」だった。

伊勢神宮の神田

伊勢神宮の内宮へ裏側から到着した。伊勢神宮に参拝するとき、本当は外宮から参拝するのが正しいようなのだが、それを知らずに内宮へ直行してしまった。

伊勢神宮

国道23号の大きな「終点」看板は当時から有名だった。このとき、駐輪場の場所を聞くために伊勢神宮鳥居の横の交番へ向かっていったところ、自転車で伊勢神宮の鳥居へ特攻しようとする人と誤解されかけて警察官を焦らせてしまった。

伊勢神宮前の国道23号終点看板

ということで伊勢神宮へ参拝。

参拝した

この日はこのあと、国道と県道をつないで一気に亀山、関まで走った。旅行も5日目になり身体ができてきたので、夜一気に距離を稼ぐことができた。この日、通りがかりの子供に「競輪?」と言われたのを覚えている。関町の道の駅に野宿。

8月7日 三重県関町~奈良県奈良市

朝、関の宿場町(東海道の関宿)を少し観光。いまとなっては珍しくもなんともない宿場町だが、当時はすべてが新鮮だった。

東海道関宿

このあと、国道25号、いわゆる「非名阪」を通って西へ。酷道として有名なので楽しみだったが、やはりなぜか写真を撮っていない。

国道25号から国道163号へ。途中伊賀上野で忍者博物館に立ち寄った。しかし、撮っている写真がオカルト的なもので微妙……。博物館では回転する扉の実演もあった。

伊賀上野の忍者博物館にて 伊賀上野の忍者博物館にて

この先もひたすら、関西本線に沿って西へ。途中笠置あたりの川の景色がきれいだったのを覚えている。

たまたま見つけて立ち寄った恭仁京。一瞬だけ都が置かれた場所である。

恭仁京

ということで奈良に着いた。興福寺五重塔の写真だがブレブレなので写真は小さくした。

興福寺五重塔

この日はJR奈良駅の横にあるホテルに宿泊した。本当に駅の横にあったホテルなのだが、調べたところいまは建て替えられて「御宿 野乃奈良」というホテルになっているようで、もともとなんというホテルだったかわからない。JRの駅から三条通りの反対側にあったホテルだった。

ホテルには高校生の部活の団体が泊っていて、なんとなく恥ずかしかったのを覚えている。

8月8日 奈良観光

奈良のホテルに2泊して観光した。

東大寺大仏殿

まあ、奈良の観光地はいつでも同じなのであまり見るべき写真はない(大学時代以降、毎年何回も奈良の寺を回っていた時期があったこともあり、写真は大量にある)。

奈良のそごう附近?

次の日は、奈良と大阪の境にある、酷道で有名な暗峠へ行く。

記事が長くなったので2ページ目へ分割。

Part2 暗峠へ

2025年12月17日記事公開

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