2005年3月18日~25日 九州自転車旅行 Part4
2005年3月、九州を1週間の自転車ツーリングに出かけた。泊りがけの旅行だが、このときはテント泊ではなくユースホステルなどに宿泊した。
このPart4は、長崎と志免炭鉱竪坑櫓、大宰府の観光。
2005年3月24日 長崎観光
長崎ゑびすユースホステルに2泊した。この日は長崎を観光。自転車は使わず、路面電車で回った。
まずはグラバー園へ。
続いては大浦天主堂。
観光地の写真は誰がいつ撮っても同じなので、それよりも町の写真を貼る。これは長崎電気軌道の204号路面電車。
中華街の孔子廟。
長崎電気軌道308号。
長崎電気軌道1802号。これは出島のあたりで撮影したのだが、道路の横幅一杯に往復の線路が敷かれていて驚いた記憶がある。
これはたぶん長崎駅あたり?
原爆慰霊碑や博物館も見に行った。
日本二十六聖人殉教地。
長崎ゑびすユースホステルにて。同年代の宿泊者がいていろいろ話した。
2005年3月25日 志免炭鉱竪坑櫓と太宰府天満宮
長崎ゑびすユースホステルを出発。長崎ゑびすユースホステルは既に存在しないらしい。
ちなみに当時、軍艦島に上陸するツアーもこのユースホステル経由で参加できたらしい。いまではドメジャーな観光地になっている軍艦島だが、当時は勝手に船をチャーターして上陸するしか手段はなかった。その代わり、行政によって管理されていなかったので、危険だが自由に内部を見て回ることができた。観光地化するというのは本当によいことがひとつもない。
長崎駅へ。いまでは高架化して、まったく面影はないようだ。
おそらくこの列車に乗った。キハ67 1。
長崎駅朝6時ちょうどの鈍行に乗れば18きっぷでも簡単に博多方面へ行けたのだが、起きられなかったので乗り継ぎが非常に悪くなってしまった。仕方ないので途中の本数が少ない区間を特急でワープした。
肥前鹿島の写真があるので、肥前鹿島から再び鈍行に乗ったようだ。
さて、どこの駅で降りたか覚えていないのだが、志免炭鉱竪坑櫓へ向かう。
志免炭鉱竪坑櫓も、もはやドメジャーな観光地になってしまったが、当時はそこまで知られていなかった。というか自分もそうだが、インターネットのせいでこういうのが有名になってしまったのだろう。
当時はすごく感動したのだが、いまとなっては、もう手垢が付きすぎた場所で、もういいかな……という感じである。
このあと、太宰府天満宮に参拝した。
大宰府政庁跡も行った。
このあとたしか、都府楼南駅から輪行して博多へ向かった。
この旅行の写真はこれで終わりである。当時はまだメディアが安くなく、デジカメで撮影できる枚数には限界があった。
この日、ムーンライト九州の指定席を取ることができたので、博多から乗車して帰宅した。白とピンクの14系座席車だった。写真を撮っておけばよかった。終点の京都まで乗車したが、そのあとどうやって帰ったかは覚えていない。おそらく鈍行でゆっくり帰ったのだろう。
2025年12月19日記事公開