2004年5月1日~5月2日 草津~渋峠~長野~嶺方峠 自転車ツーリング
2004年のゴールデンウィーク、渋峠に行った。ついでに、景色がよいことで有名な嶺方峠にも行ったが、こちらは午後だったので逆光で景色は全然見えなかった。
この時期になると実家がデジカメを買っている。OLYMPUS CAMEDIA C-740という機種で写りはとてもよい。ただし記録ディアがxDカードのため非常に高額で、撮影可能な枚数に限界があった。
5月1日 長野原草津口駅~道の駅草津
5月1日、ほぼ終電で長野原草津口駅へ。この駅舎は建て替えられていまはもうないらしい。
自転車を組み立てて、草津温泉の手前にある道の駅草津へ。道の駅で野宿。ただしテントはない。
この夜の時点で標高1000mに達しているのだが、5月1日のテントなし野宿で大丈夫だったのだろうか。高校生で若いのでよくやるものだ。
5月1日
道の駅草津~渋峠
道の駅草津の朝。霧がかかっていた。
草津を抜けて、日本の国道でいちばん標高が高い292号を、渋峠に向けてひたすら上っていく。チェーン携帯の表示があり、自転車で行けるのか少し不安になる。また、この区間は火山性ガスが出ることでも有名な場所である。当時自転車に対する制限はなかったが、やはり少し不安だった。
そう、当時乗っていたのは中古で買った7速のロードバイクだった。Shimano SORAの7s STIレバーに換装してはいたが、フロントは52-39、リアは13-23だったはず。よくもまあこんなギアで登ったものだ。高校生はすごい。
さて、霧がかかっていたので写真は全然ない。一気に登った。草津白根山の駐車場に着くと、急に霧が晴れてきた。
一気に霧が晴れた。草津白根山に到着。
いまでは火山活動のため近づくことができない湯釜。当時は間近まで行くことができた。
しかも、当時は登山道を自転車を押して登って行ってもなにもいわれなかった。自転車ブームが来るギリギリ直前のおおらかな時代。自転車に対する風当たりは全然なかったように思う。
湯釜から駐車場を見下ろす。このように、ちょうど稜線が雲をせき止めている。
志賀高原。とにかく景色が美しかった。まだ雲海が残っている。遠くには北アルプスが見える。カメラの時計が正しければだが、タイムスタンプはまだ朝の9時半くらいだ。
この写真はとにかくよく撮れているので、当時何回かネットに貼ったことがある。
そして渋峠に到着。自転車をはじめてからまだ1年だが、暗峠にも行ったし、渋峠にも来てしまった。
渋峠には雪の壁がまだ残っていた。
そして、日本の多くの自転車乗りが写真を撮ってきた、渋峠の木の標柱。
ということで渋峠を制覇した。このあと志賀高原の美しい景色の中を下ったのだが、当然写真はない。
次の写真は長野市内だ。この写真を撮ったのは、当時、このような自転車道が珍しかったため。
当初の予定では、長野市内に一泊して翌日嶺方峠に行くつもりだった。しかし、この時点でまだ昼過ぎ。こんなに早く渋峠を越え終わってしまうと思っていなかったのでどうしようかと思った。結局、そのまま西へ向かうことにした。
この岩山はまだ長野市内。どうやらこのあたりがいわゆる戸隠のあたりのようだ。高校生だったので、あまりゆっくりと観光する気持ちを持っていなかった。勿体ない。
国道406号線を西へ。この頃はまだギリギリ、鬼無里村という地名が残っていたはず。
そして。次の写真は嶺方峠になってしまう。
しかし、この日のうちに嶺方峠に行くのは失敗だった。嶺方峠といえば、トンネルから北アルプスの山並みが見える絶景で有名な場所だが、当然、午後に行ったら逆光で山は見えないのだ。まったくそのことに思い至らなかった。
ということで、この旅行の写真はこれで最後。
この日はこのあと、まずは白馬まで下った。そのあと、信濃大町から長野県道31号(オリンピック道路)を長野方面へ向かったところ、完全な下り基調だったため、時速40km/h巡行で、またたく間に善光寺平まで戻ることができてしまった。ただ、このとき乗っていたロードレーサーにはフックキャリアでフロントバッグを付けていたのだが、40km/hを過ぎるくらいから共振してハンドルが揺れ始めるので本当に怖かった。
結局、篠ノ井駅からしなの鉄道で輪行して軽井沢へ。軽井沢で一度自転車を組み立てて、真っ暗な碓氷峠旧道を横川まで下る。横川で再び自転車を分解して、輪行でそのまま帰宅した。
碓氷峠だけ自走して長野から輪行で帰るという技はその後も何回かやった。
2025年12月17日記事公開